大なる兵法

私も一応は古流?の門下にいるので人のこといえないのですが・・・。
いくら優れた技があるといってもそれを社会に還元できなければ存在意義が危ういのではないかと思うのですよ。
だから、趣味じゃだめなのです。
実際に社会の中、戦闘という状況の中で活用される術でなくてはただの文化財伝統芸能になってしまうはずです。


ひとつの生き残り方としては、人と人の間における兵法。つまりは心術、新陰流で言うところの大なる兵法としての生き残り方です。
ただ、これを頭で突き詰めると実際に体を動かして稽古する必要がなくなってしまうんですよね。
それでも体を動かして稽古することは必要です。
なぜ稽古が必要かというと人と立ち合うという状況を得るためだと私は結論しました。
いくら頭では理解できていても実際に腹を据えた状態というのは生まれないんですよね。そこで体を使った稽古によって”危機”と”腹を据える”という状況を疑似体験させるわけです。
稽古の中でその”危機”をどれだけリアルに感じ取れるかによって、身になる稽古かそうでないかが決まるはずです。
(まぁ、本当の意味で人と立ち会うのは怖いですからねぇ。)


念のため:
・私は武道、武術を趣味とする人を否定するつもりはありません。
(でも、真剣に稽古しない人は否定します。)



・・・とか考えたりしている今日この頃。
まだまだ、甘いなぁ。