死ななくてもいいんですけどね

葉隠 上 (1)
葉隠 中 (2)
葉隠 下 (3)


「武士道は死ぬことと見つけたり


葉隠の有名な一節です。
なんとなく、この一文だけ見ると武士というものはやたらと死に急いでいるように感じてしまいます。
それが「武士=死にたがり」というイメージを生んでいるような気がしてなりません。
もちろんこれは誤解ですよ。


しかし、武士道や武道、武術を語る上で”死”というものはなくてはならないものです。
正面から死に向き合うことで如何に生き、如何に死ぬかということを考えるわけです。
武術はただの技術にとどまらず、高い精神性が存在していることは良く知られています。
なぜかというと稽古の過程で嫌でも”死”について考えざるを得ないからです。
稽古をすればするほど”死”というものが身近なものになってゆくのです。
「ああ、一瞬なんだな」「どちらに転ぶか一寸先は闇」ということが分かってきます。
そこから導きだされるのが「いつ死ぬのかわからないのだから、今という一瞬を大切に生きなくてはいけない」という感覚なんですよね。
死の中から生の大切さ、貴さを実感してゆくのです。
そこでさらに命のリソース化が行われます。
つまり、心の底から成し遂げたいことに対して自分の命を使えるようになるわけです。
また、どうしても譲れない状態になったときに相手の命を奪えるようなるわけです。
こうして死から始まり、生に至り、また死に戻るわけです。


このようなことから「武士道=死ぬこと」というのもまぁ嘘じゃないなと。
自らの本懐に対して命を使うことにためらいが無い人が武士なのです。


という私の武士道論。
武士道なんてものは画一的なものじゃなくて、ひとりひとりの考えから出てくるものですよ。
行動の結果がひとりひとり違っていても、その考えの根底にあるのが武士道だと思います。