抜刀

どうやら、抜刀の稽古はものすごくゆっくりやった方が良いようです。
刀を抜くと言う動作は速くやる方が遅くやるより楽です。
なぜかというと勢いを使えるからで、無理があっても抜けてしまうことがよくあります。
抜刀というと速く抜くという想像をする人が多いと思いますが、それでは本当の意味で稽古になりません。
さすがにここぞというときには速く抜きますよ。
無理な抜刀というのは鞘に負担がかかります。
稽古してゆくうちに鞘が削れてきたり、割れたりするのは無理があるからです。
速い抜刀は力の溜めのような筋肉の予備収縮からは生まれません。
正確な動きと弛緩した状態から生まれるのだと感じます。
速さには抜刀をスタートするタイミングがかなり重要です。
起こりともいうのでしょうか?
人間は”認知->判断->動作”の繰り返しを常に行ってます。
これを念頭におくと、速く動くために必要なことは以下のようなことだと考えられます。

  1. 経験による予測によって認知を早める。
  2. 稽古などの訓練によって単純で正確な動作のパターンを作っておく。
  3. 判断で時間をとらない(判断と動作をほぼ同時に行う)。



1は稽古をしているとだんだん分かってきます。
起こりを捕らえると言う意味です。
2もひたすら稽古すればできるようになります。
ただし、型を正確に覚える必要があります。
3も稽古して覚えます・・・・




あれ?どれも稽古する以外に方法がない・・・。


ところで3について最近面白い発見がありました。
当て身をいれるとき、普通は無意識のうちに”当て身をいれるぞ!!”と思ってから当て身します。
ところがこの方法だと相手に対応されることがかなりあります。
そこで当て身をいれる瞬間まで何も考えず、”ぱっ”と拳を飛ばしてやるとかなりの確率で相手が動く間もなく当たるということが起きました。(かなり意識してやらないとできないです)
これは判断と動作の間をなくした状態に近いんじゃないかなと思います。
起発一体という言葉がうちの流派にあります。
起こりと発しを同時にするという意味と私は捉えています。
”〜するぞ”と思ってから実際に”〜する”のでは遅いと言うことです。
なので抜刀も”斬るぞ”と思ってから”斬る”のでは遅く、ただ”斬った”のみにしなくてはいけないのかなと思います。